ブラジルのお茶講義の続きです。

第一話 ブラジルお茶講義。マテ茶とブラジル、パラグアイとの関係。

第二話 ブラジル茶の歴史の話。中国種からアッサム種へと切り替わった。

1950年から1990年にかけてお茶の生産が大変盛んになりました。

政府がいろいろな形で援助をはじめたお陰で、お茶の生産が急激に伸びてきました。

 

今、指をさしたところが中心になった地域です。

お茶の45パーセントがこの地域で生産されてお茶の中心地と呼ばれるところです。

 

主にアメリカ、ヨーロッパその他の南米全体にも輸出されています。

これは去年の写真ですが仏教寺院です。お茶はこの寺院のシンボルのような魂として大変尊重されています。

 

お茶の学校でも、1970年からこのお寺でお茶のお祭りがあります。

これは天井の写真ですがお茶の木です。いかにお茶が貴重なものであるかっていうことを表しています。

これはお祭りの時の入場門ですね。

 

これは1950年から90年のお茶の全盛期のアマヤ一家の写真です。

大変いい時期ですが、政権が変わりましてお茶に対する援助があまり前の政権ほどなくなったために、

お茶産業が落ち込んできましてお茶の値段も急上昇しましたのでお茶の産業をやっている方たちは大変くろうをしました。

 

ほかにも文化的なお茶文化の問題があります。

ブラジルの資本主義がだんだん発展するにつれて日系移民のひとたちの絆と呼ばれる非常に有効的な組織があったものがくずれていって、昔のような形でお茶を生産していくことが非常に難しくなってきました。

 

45の一家がお茶の産業に従事していましたが今残っているのはこの

あまや一家の一件になってしまいました。

 

四人兄弟だったのですが、一人亡くなったりしていろいろ非常に大変な思いをしながらお茶産業を支えています。

 

いまも昔のようには上手くいっていないのですが沢山お茶を作って、なんとかいまもお茶の産業を引き継いで続けています。

皆様のお配りしているお茶の中に、あまやさんが主に生産している二種類ブラックティーとグリーンティーのティーバッグがはいっていると思いますがぜひのんでください。

 

あまや一家はこのようにとっても広いお茶畑をもっていて、10万トンのお茶を毎年生産しております。

昔はあまやさんはほとんど輸出ということでお茶産業をやってきましたが非常に輸出基準、資格が厳しくなりまして有機であること。

 

そのほかにいろいろな基準がもうけられたので輸出をすることができなくなって、今では国内向けの販売をしています。

これがあまやさんのお茶のマークですが、こういうのは最近になってできたものだそうです。

   

今では半分くらいの土地でお茶の生産をしています。ブラジル国内だけの需要になってしまったのでちょっと厳しい状況ですね。

今、みなさんのところに緑茶と紅茶と二種類お茶があるとおもいます。

大西洋側の森のすぐわきにお茶畑が広がっています。

 

今みなさんにおくばりしているお茶はこの地域のもので、この地域一帯はユネ

スコで保護されていますので水とか環境も非常に特別で大切な地域です。サンパウロ州にあります。

 

一番左の写真は私の学生をこのお茶畑につれていった時のものです。

こういうふうに実際に畑を尋ねてお茶の勉強をします。真ん中がお茶の葉っぱです。

 

右側が一番古いお茶の木です。

一番が工場です、二番目がお茶ですね。

 

二番、三番は機械にかけられているところです。四、五がお茶になったものです。

5番目のビーエスティーピーというお茶ですが、そういう名前のお茶なそうです。

 

四番は紅茶ですね。五番は緑茶で最後の六番は粉末茶を使ったお茶のケーキです。

あまや一家のお茶は非常に工業化していまして大きい会社ですが次にしまだ家についてお話します。

 

一番左の方は92歳のしまだうめさんですが、すごくちいさな家族でやっていrお茶だったものですから売る事もできなくて彼女は生涯お茶をつんで、手積みです。

 

お茶をつんでお茶をのみつづけていたということです。

いままで手作業でずっとやってきたんですけど、まきうちとみさんという方が彼女を助けけることにして、少し機械化にしまして電気を使った機械を使ったお茶の生産をすこしづつやるようになってきました。

 

12エーカーの茶畑をもっていまして、400キロのお茶を生産しています。

第四話へ

ブラジル茶と日本茶の関係。山本山とやぶきた栽培がされている話。