茶料理を作るということになった時からのアイデアのまとめを備忘録として残しておきます。
こんなこと考えていたんだな。というものです。
あと家族に聞いたアイデアと話のまとめ等々。
・お茶と桜海老のふりかけおにぎり
・茶入りつくね
・お茶入りひき肉のレタス包み
・粉末茶のババロア
・たこ焼き お好み焼きのソースに使う。
・おやきの中に入れる
・チジミも入れる。
ハーブが使われている系の料理は茶葉も同じように使うことができる。
良いお茶を 食べ物に作って、お茶もいいものを出してあげる。
お茶と相性のいい食材。 打ち消しあうもの。
茶害虫の防虫除去は年度によってが違う
茶業研究所の先生はどういう虫がその年度ごとに発生しやすいのかというのを調べて、茶誌に載せていていると言うことでした。
農家の人もそう言う面では、自分たちで毎日茶畑に行くことによって微妙な変化を感じて行動していると言うことでした。
地質とかでもわかるようです。
我が家の茶畑がある牧場は1位とか2位とか入賞していた。
昔々の話でしたが、実家の富士のお茶も品評会で入賞していたと言うことでした。
栽培と製造は一緒で日本茶は農業でもあり工業であるは9割正解
日本茶インストラクター兼農家の人の講義を受けたのですが、日本茶の栽培と製造は同じ。
つまり農家は農業もやり工業もやるということでしたが、これは半分正解で半分間違いです。
残りの1割について
0.5割は加工しない農家
0.5割は栽培と製造と仕上げ茶までやる。
つまり我が家は加工しない農家という極めてレアキャラなところに入ってしまっていた。
こういう不運が重なってしまい
さりげなく茶の偉大な人たちに巡り会える
私自身はまだ勉強中の身ですし、茶についての知識は毛の生えたくらいかもしれません。
ただ、学ぶ姿勢だけはとにかくやらないければならないと言う思いがたくさんあります。
学ぶ姿勢が上がるにつれて出会う人も 強者揃いになっていきます。
自分のレベルを上げて行かないといけないなと言うことが実感できます。
出会いは常に己に見合っている
— ゲッターズ飯田 (@getters_iida) April 14, 2019
香り緑茶は静岡、岐阜、埼玉
香り緑茶というのがあります。
一般的にはあまり広まっていませんが、萎凋させた緑茶です。
岐阜白川は、昔の生産能力の低い時代に工場が稼動できなかった。
だから仕方がなく家に置いて 次のひに工場に持って行った。その一晩で萎凋が進んで、昔ながらのお茶ができたと言うことです。
ちなみに標高の高いところじゃないと香り緑茶はできないそうで、例えば鹿児島なんかで同じことをやってしまうと美味しくないお茶が出来上がってしまうようでう。
埼玉 狭山は 紫外線を当てる機械を開発してそれを元にして萎凋させるということです。
お茶が安くなっちゃって、やればやるほど赤字になる
後継者がいて何ヘクタールとかやればまだできると思うけど。
とのことで、これも農業一本にするということが原因だと私は感じました。
例えば、比較的手のあく冬場は別の農作物を育てたり、情報発信して色々
茶業界の怠慢が重なった結果だと思った
みんながやぶきたを植えまくった昭和後期。
強いから とりあえず猫も杓子もやぶきた植えておけば生えてくるという概念があったそうです。
結局量が欲しいから。でもやぶきた依存は起こるべくしておきたのだと思う。
ずっと同じことやっていていきていける訳が無い。
世の中は厳しいが競争である。
茶とやぶきたのコンテンツ飽和が起きた
つまるところ 北海道の木彫りの熊だったり、信楽のたぬきの置物みたいに誰も手に入る状況が起きてしまった。
需要と供給のバランスが崩れた。
何町歩という農地があったから
富士山を見ながら茶畑を一望できるという立地条件はある。
家で肥料を作っていた
魚の魚粉だったりとかを使って有機肥料を使っていたが、母が臭いからということで
途中から化成肥料になったらしい。
自分だけが分かれば良いということで、今考えてもバカな親だったが、自営業で30年近くやってきたということはとても評価している。ただ子供に教育しなかったのは本当にバカな親だと思う。親の意味をなしていないではないか。
明朝体と顔真卿
日本茶インストラクターで 顔真卿という人が出てきましたが、この人は書道家です。
顔真卿は明朝体を開発した人とのこと。
ちなみに
習字は手本どおりに書いていれば、級や段が上がって行く。
書道というのは芸術が入っている。ただ綺麗に書けば良いというものではない。
紅茶の飲み比べ LinkTeaと丸子紅茶
LinkTeaさんは香りにとても特徴があります。アロマ効果も期待できます。
丸子紅茶さんは 癖がなく飲みやすい。
多田元吉さんと杉山彦三郎さんの生き様を忘れたくない
二人とも超貢献しているのに、茶業界以外にはほとんど知られていない。
私の目標はこの二人の生き様を次の世代に伝えていきたいです。