私 ひろたかがどのように茶に入っていったのかということについて説明いたします。
※人によっては不快に思える表現もあります。ご了承ください。
すごくざっくりとあらすじ
生まれは静岡県。父は茶農家(専業)だったが、病気が進行し継続が難しくなる。
お茶については畑が3町歩くらいある超ハードな肉体労働でしたし、農業の魅力が当時はさっぱりわからず 私は普通のサラリーマンになる。
30歳の時に父が亡くなり、社内外でのトラブルが続出。
この先どうするか悩んでいた時に副業でしていたWEBサイトが育ち大卒の初任給レベルまで引き上げることに成功する。
・初めてのM&A売却
とりあえず、ブログからの毎月の収入があるからもう会社には行きたくない。
私は会社を辞めることを決意した。
しかしながら、会社を辞めるからにはまとまった資金を調達する必要があると考える。
(貯金はしておりましたが、会社を辞める恐怖はやめたことある人ならわかるはず)
嬉しいことに私のWEBサイトを購入したいという法人様がいた。
私は初めてのM&Aに挑戦し、数百万を受け取ることに成功した。
こちらが実際の契約書である。
仲介業者のサイトマさんありがとうございます!!!
ちなみにこちらが証拠になり実名で公開してあります。
https://saitoma.com/column/9793.html
この経験は私の人生の中でもとても良い経験になった。
・お茶との再会と偶然の一致
私はある方にアドバイスをいただき、
そこでいただいたキーワードの一つが「お茶」だった。
その時は、
今更お茶なんかやってどうなるんだ?という楯突いた考えを持っていたところはある。
しかしながら、偶然という名の必然は続く。
たまたま入った本屋で見つけた本が
「日本茶の図鑑」
であった。
もともと地理が好きな私は日本にこんなに茶産地があったのか。
47都道府県制覇したけれど全然日本のこと知らなかったと感じた。
(ちなみに47都道府県全ての茶畑を巡るというのが今の目標でもある。)
こちらの茶の図鑑の中に日本茶アドバイザースクールについての案内があった。
こんなものがあるのかー と思ったが、何かが気になり連絡を取ってみることにした。
・日本茶アドバイザースクールに通う
私は日本茶インストラクター協会に連絡をしてみた。
この時が12月末で、翌年1月からスクールが開校というところだった。
ちなみにすでに期限は切れていて、まあ試しに話だけ聞いてみっか。という感じでした。
でもここでもやもやしてしまい、ええい。お金はあるからとりあえずダメ元でやってしまえ!!!
速攻でお金を振り込みテキストが送られて来たが、あまりの難しさにびっくりした。
そもそも何を言っているのか用語が解読できない・・・と
私はお茶に関しては栽培の手伝いをしたことがあるくらいではっきり言ってすべての分野において素人であった。
しかし、安心してください。このスクールがあまりにも面白すぎて私は茶にのめりこむことになる。
この時にお茶を教えていただいた先生方には本当に感謝しております。
後々知ることになるが、こちらのスクールで講師をされている方々は日本茶インストラクターの中でもかなりの精鋭揃いの先生方ばかりだった。
いつか出世して恩返しします。
退職引っ越し 矢のような茶旅編
当時働いていた名古屋に見切りをつけて次にどこに行くか悩んでいたとき、友人に物件を紹介してもらった。
この時に拾ってくれたのが 大阪の大家さんである。
大家さんはもともとビジネスウーマンである。詳しくは書けないが、50年前に学生起業をしている。
もともと起業しながら高校の歴史教師をやっていたが、ルーティーンがあほらしくて教員は半年で辞めたとのこと。
嘘ではなくこれは本当である。
おんとし72歳のでぇ(大)ベテランである。(野沢さん)
私が好きなエピソードの一つで奈良女子大学の目の前にイケメンだらけのカフェを開いたところ学生が大量に来すぎてしまった。
あまりにも忙しすぎて1年で店を畳んだという汗
大家さんには色々なことを学んだ。どうすれば流行るカフェや店ができるのか? 歴史や時代背景の話。
特に歴史の教師をしていただけあって知識量はとてつもない。こういう先生がいたら歴史を好きになると思う。
是非とも恩返しをしたい人の一人である。
・インドダージリンとアッサムへの旅
・なぜインド?
私はインドに行くことにした。
なぜインドなのか?ダージリンやアッサム茶が目的というのもあるが、私が多田元吉氏を最も好きな茶業偉人であり尊敬していたからである。
多田元吉さんは日本茶インストラクターの方ならご存知だと思うが、日本人で初めて、ダージリンとアッサムへ行き、
揉捻機の設計図とアッサム種の元となる茶の苗を持ち帰った偉大なる先人である。
なお茶農林第一号は「べにほまれ」だが、このご先祖様が多田元吉さんがインドから持ち帰った苗である。(多田系インド雑種)
ちなみに多田元吉さんは、翻訳者の梅浦精一さん 機械技術者の石河正竜さんの3人のチームで渡航した。
その3人ともインドで赤痢や病気にかかって死にかけている。
無事に生きて帰ってきてくれたおかげで、現代我々は気軽に色々な品種茶が飲めるのである。感謝感謝である。
ちなみにあまり知られていないが、
日本の8割の栽培率を誇るやぶきたを開発した杉山彦三郎氏も多田元吉氏に師事を受けている。
そんなインドは良くも悪くもインパクトが強すぎでした。
インドのカオスっぷりは下記で音声にしてあります。
・ダージリンは一度は行ってほしい
インドといえば、タージマハルやガンジス川などの名所が有名だが、お茶好きとしてはダージリンは外せない。
しかしながらダージリンと言ってもよくわからないという人も多いであろう。
行くまでに早くても1日半はかかる。気軽にふらっといくことはできない。
だからこそついたときの感動というか、生きててよかったという気持ちになるのだろうと感じた。
こんな遠くから日本にダージリンのお茶がやってくる。
そう思った時にお茶に対する感謝の気持ちも芽生えるのかもしれない。
また、余談だが 占いとお茶というのが密接な関係があるということを知れたのがこの旅の思い出の一つである。
ダージリンの茶園にバイオダイナミック農法の記述が書かれおり、
これが占星術と農業(お茶)と関係があるということを現場に行くことによって証明ができた。
ちなみにダージリンといえば紅茶だが、日本茶も占いと関係がある。
このことについては今回は記述しないが、興味のある方は調べていただきたい。
・腹痛と地獄の夜行列車 気合のアッサム行き
道中でお腹を壊してアッサム行きがなくなりかけた。
何でお腹を壊したかはわからない。ただ、ガイドさんと一緒に行って一緒のものを食べたのに私だけ腹痛が起きた。
インドの腹痛をなめてはいけない。
私が経験した中で最も痛かった事象のベスト3に入るのがインドの腹痛である。多田さんたちが死にかけただけある。
この時インドの旅に一緒についていってくれたのがインド人ガイドのニアティさんである。
ニアティさんのユーチューブより
彼女に薬を買ってきてもらい、動けるようになり なんとかアッサムに行くことができた。
ちなみにシリグリからの13時間の夜行列車中では死んだように寝ていた。(一緒にウノができなかったのが残念!)
ガイド、通訳、電車やホテルの手配などほとんどやってもらい言い表せないほど感謝している。
自分だけだとここまで満足のいく旅はできなかったし、インドに対して腹痛がひどく2度と生きたくない国という認識になったであろう。
そしてたったの1週間ですが、二人で話しているうちに
インドの人にはこんなに頭のいい人がいるのかと驚愕もした。
私はインドに対しての偏見がなかったと言われると嘘だと思う。
インドの人たちの方が日本人より優秀。もちろん全員ではないだろうが、うかうかしてられないという気持ちもでてきた瞬間であった。
アッサムには世界最古のお茶の研究所トクライ研究所がある。
こちらももし可能であったら見学させてもらうと色々と発見があると思う。
研究所ではお茶にCO2(二酸化炭素)をかけた時に成長速度がどのようになるのか?ということについて説明をしてもらった。
・バングラデシュへ紅茶旅
・首都ダッカ到着
ニアティさんと別れた後バングラデシュへ合わせて旅をした。ここからは一人旅。
事前知識はバングラデシュという国があり、スリモンゴルという場所に茶畑があるらしい。
という情報だけだった。
なんとか首都ダッカまでたどり着いた。
ちなみにバングラデシュおよびダッカは大気汚染や工業汚染がやばいことで有名である。
こういう光景をリアルに見ると日本がいかに安全で守られている国かということが理解できる。
まず、アライバルビザを取得。ちなみに日本人は無料であったが、中国や韓国の人はお金がかかるようである。
その後 両替 SIMカードを購入 この時に両替もしておくと良い。(インドもそうだったが、お店でお釣りをくれない) その後に水を買う。
そしてホテルに行くためにタクシーをウーバーで呼ぶ。
しかしここでトラブル
タクシーのナンバープレートがまさかのベンガル語でナンバープレートが読めず。
バングラデシュで乗った車のナンバープレート。
交通事故にあっても,ナンバーを伝えることができません。かろうじて,「8」が見えるので,「8がありました!」と報告すれば良いのでしょうが,それもままなりません。なぜなら,この「8」に見える数字は,現地では「4」だからです。
8と9に引っかかる!!!
バングラデシュ(ベンガル)の数字とアラビア数字の比較
そもそもホテルにたどり着くことすら難しい状況だったが、バングラ人は優しく色々と教えてくれた。
たまたま泊まった宿を日本人宿にしておいて幸運でした。
その場にいらっしゃった若者に昨日スリモンゴル行ってきましたよーと情報をもらったのだ。
さらにバスのチケットの買い方も教えてもらい私はスリモンゴルへ行くことを決めた。
バングラデシュの茶産地スリモンゴルへ
スリモンゴルは地域で行くとアッサムに近いところである。
噂によるとアッサムから陸路でもスリモンゴルにいけるとのことだが、時間的な制約があるのと実際には入れなかったときのリスクを考えるとチャレンジングすぎると思う。
ちなみにバスで行くのはお勧めできない。何故ならばインドよりも交通マナーが悪いし、渋滞も多い。
しかしながら電車のチケットがとれなかったし、時間がなかったので仕方がなくバスで行くことにした。
というより車が普通に逆走するし、スピード出すしジェットコースターよりもスリリングである。
バス内はシートベルトも無いし、
かなりのスピードを出しているのでもし当たったら重症もしくは即死である。
だから可能であれば電車で行こう。
私は午後に出発してついたのは夜の9時過ぎ。この時は無事つかなかったらどうしよう・・・という気持ちはあった。
スリモンゴルの中心部は結構明るいが、少し離れると真っ暗でこんなところで置いてかれたらと思うと恐怖感じる場所。
・スリモンゴルの名物セブンレイヤーティーと茶畑にヤギ??
スリモンゴルは紅茶を作られている。
インドもそうだったが、バングラデシュも甘いお茶を好むようだ。
この時にセブンレイヤーティーという7つの層になっているお茶を飲んだ。
これは作るのが難しいみたいで、出てくるまでに10分くらいかかった。
味は、ものすごく甘い。
甘すぎてあま〜いと叫んでしまうくらい甘い。
また、茶畑に行った時にヤギがいた。このヤギに草を食べてもらい自然の有機農法を行うという手法みたいである。
バングラデシュ意外と前衛的な取り組みをしているな。とこの時に感じたものである。
・全国茶産地巡りの旅
せっかく時間もお金も余裕があるのだからということで
自分の中で何か吹っ切れたものがあったような気がします。
この時に、静岡、埼玉、千葉、東京、愛知、岐阜、三重、滋賀、京都、奈良、香川、愛媛、徳島、長崎の茶産地をめぐることができた。
学生時代に全国一周した経験というのは確かに生きていたと思った。
これをしていなかったら旅のスキルというものが上がらずにうじうじと何もできずにいたであろう。
・インドネシアへ紅茶旅
本当はアイルランドに行きたかったのですが、色々な事情によりインドネシアに行くことになった。
ちなみにインドネシアのお茶情報を探しても全く出て来ず。
ヒントになったのはマツコの知らない世界に出られた吉田先生のブログであった。
このブログをヒントにして吉田先生に問い合わせをして、実際にインドネシアの茶畑まで行くことができた。
行き方は結構難しいが、バンドゥンという都市までいき、レンバン という町を目指していくと茶畑がみえる。
大規模な工場は一箇所しかないので、タクシーの運転手さんに聞くとわかる。
できればブルーバードタクシーを使った方が良い。英語はペラペラであるが、たまに日本語が喋れる人がいるのでそういう人に当たったらラッキーである。
ちなみに野良タクシーやグラブタクシーだと英語が喋れない人にたまにぶち当たるので、交渉が大変である。
日本茶インストラクター試験編
・日本茶インストラクター試験1次試験へ
こんな感じで行くとお前ほとんど遊び呆けているじゃないか!とお叱りを受けるようだが、私としてはお茶の勉強していたと思う。
勉強というよりは好きなことを勝手にやっていたらぐんぐん成長して行ったという感じだろうか。
やれることはやったし、
一撃で受からなかったらお茶を辞めて即就職。
ということを心に決めて試験に挑む。
ちなみに第一問目から解けなかったのを記憶している。
正直一番自信のあった歴史の第1問目が解けなくてとても焦った。
その代わり自信のなかった化学と健康科学についてはそこまで難問は出てこなかった。
見直しの時間も残り5分くらいしかなく、ほぼ一発勝負なのかというところでこれから受講する人たちには気をつけていただきたい。
・日本茶インストラクター2次試験へ
2次試験につきましては1次試験終了まで全くしておりませんでした。
しかも事前に
配布されていたDVDも紛失。私は日本茶インストラクター協会に電話をしてDVDを借りるところからスタートした汗
そこまで焦ることもなく直前勉強会にいけばおおよその理解は可能である。
ちなみに直前勉強会を受ける場所については支部間の移動も可能である。
例えば、私は関西で受けようと思っていましたが、いけなかったので名古屋で受けることにした。
(名古屋は知り合いの方がいらっしゃったのでそれはそれで良い再会になった)
・試験当日
試験当日に喫茶店でコーヒーを頼んでしまったのは大失敗だった。(味覚がおかしくなる)
なので絶対に飲まないように。
あと相対評価ではなく、絶対評価ですので。焦らずにきちんとやれば合格はする。
私は今だに内質鑑定はよくわかっていませんが、仮に内質を外したとしても他のところで満点に近い点数を取ればOKです。
・日本茶インストラクター合格
結果としては無事合格。下記私の音声。
あれだけ勉強したから受かるに決まっているとは思いましたが、実際に結果を出すというのは緊張はするものである。
それでもスポンジが水を吸うかのごとく茶の知識0から合格に至った
というのは自分でもびっくりである。
受かった瞬間に涙が出できた。
ちなみに人生で一番難しかったと感じる資格試験は学生時代に受けた第三種電気主任技術者である。
なんとか合格はしたものの、合格までに3年もかかるという。
(こんなものに時間を使うなら旅行や遊びに時間を使ったほうがよかった 涙)
こんな意見もありますが受験は推奨しません!!!
日本茶インストラクターの方が楽しいよ 涙
・ご先祖様に顔向けできない。
まともに社会人を送っている人から見たらなんてドロップアウトしている人なんだという目で見られるし、
実際に自分でも見事にドロップアウトしたなとも感じる。
ただ、私はこれまで高校進学から就職先まで自分で考えて自分で進んできた。
それは親を頼りにできないという歪んだものだったのであったのは認めている。
そして結果的にそれは大いに間違っていましたが、
27歳の時に病気で本当に死ぬかと思った経験があり、
そのまま死ぬわけにはいかないと感じるところがあった。
それはご先祖様に顔向けできないし、
あの時死ななかったのはもしかしたら「お茶をやらずに死ぬな」とご先祖さまが私に伝えたかったかというところを私自身が感じているからでもある。
そしてあの時会社を辞めていなかったら、まだお茶に会えていなかったかもしれない。
そう思うとゾッとする。。
そのためにも私は茶をつなげて未来への糧にしたいという気持ちがある。
現代製作中のお茶についてもご先祖さまに恥ずかしくないような形でリリースできたらと考えている。
・今辛い方へ
特に20代後半の数年は体調不良とリハビリで思うように動けなかったことが非常に悔やまれる。
なので自分の体を大切にしてほしい。体が動けばなんとかなる。
自分自身の体を大切にすることはご先祖様もきっと願っていること私は感じる。
そして毎日お茶をぜひ飲んでほしい。
私は医者ではないが、お茶の医学的な側面から見ても茶の効能というのは凄い。
特に精神面への効果は計り知れないとも感じる。
食べれば美容にもいいしね。
お茶を飲んでみてくだらないと感じれば それでよし。
お茶飲んでみて最高と思うのであれば またそれもよし。
希望があれば
我が家に残っているお茶をお裾分けします。
今後の目標とか
・ストレスケアとしてのお茶の開発
これに関しては今開発中です。
すでにサンプルはできているのですが、細かいところの調整がありますので来年にはリリースできるとは感じています。
一応ヒントは多田元吉さんからいただきました。やっぱりあなたはすごい!!
・茶とそれに関する交流を深めたい
facebookグループで自由に茶の意見を言えるコミュニティを作りました。
茶交流会@LunaTripTea
参加条件は茶全般に対して熱意のある人。オタクな人。初学者を馬鹿にしない人です。
基本実名登録です。匿名だと荒れますので。
下記画像をクリックしていただけるとリンクに飛びます。
YouTubeチャンネルLunaTripTea
お茶に関する1問1答やくだらない話を真面目に淡々とやっていきます。
・日本全国茶産地巡り
日本全国の茶産地を巡りたい。もちろんコロナや自分の時間や金銭面の都合もあるのですぐには不可能だが。
これまで行ったことのある茶産地をあげると下記になる。
15都府県ということになる。のこり32道府県(大阪はないか・・)
【国内】
・埼玉:狭山
・東京:檜原村
・静岡:富士 沼津 両河内 丸子 静岡 本山 川根 掛川 菊川 森
・愛知:西尾
・岐阜:白川 揖斐 垂井 中津川
・三重:水沢 鈴鹿 度会
・滋賀:朝宮 土山
・京都:和束 京田辺 宇治 南山城村 宇治田原
・奈良:月ヶ瀬
・和歌山:白浜町、田辺市本宮町
・徳島:上勝町
・香川:高瀬
・愛媛:新宮 石鎚
・長崎:対馬 五島
・鹿児島:知覧
・世界の茶産地巡り
これはもっともっとハードルが高いが、とりあえず生きているうちに行けるだけいきたい。
たとえ海外で茶に関わって死ぬことがあってもそれは私にとって本望である。
ご先祖様も多田元吉さんもきっと喜んでくださるであろう。
以上 超長文になりましたが 私の紹介でした。
読んでいただきありがとうございました。