日本茶の歴史 鎌倉時代〜安土桃山時代編。茶道文化の完成!

お茶の歴史の鎌倉時代編〜安土桃山時代になります。

お茶の飲み方。製造方法。お茶を使った賭け事。

様々な問題や課題がでてきますが、安土桃山時代に千利休によって茶道文化が完成します。

大観茶論(だいかんさろん)でお茶の製造方法が変化してきた

大観茶論 だいかんさろん

これ読み方くらい覚えておいてください。

補足:大観茶論 https://turuta.jp/story/archives/9531

中国の茶の古典。
宋の徽宗皇帝の著とされています。
内容は二十篇に分かれ、地産・天時・采択・蒸圧・製造・皆弁・白茶・羅碩・蓋・筒・餅・杓・水・点・味・香・色・蔵焙・品名・外焙の条項を詳説しています。
本書は『茶録』に遅れること六十年余で、共に宋代の文大趣味としての喫茶盛行の風を伝えるものであります。
『茶道古典全集』第一巻所収。

大観茶論に、茶に湯を入れるっていうのがあります。

茶経の時は湯にお茶を入れたんだけど、その後は茶に湯を入れる。

お茶の製造方法が変わってきたっていうのもあったんですね。

淹れやすいってのはあります。

日本では、栂尾山の高山寺のお茶が結構有名で、どっちかっていうと照葉樹林帯、中央構造線より南側なんですね。

補足:栂尾
右京区梅ケ畑にある地名。清滝川沿いにあり隣接の高雄(尾)、槙尾とともに三尾(さんび)と呼ばれる。紅葉の名所。13世紀に再興された栂尾山高山寺が地名になったといわれる。日本最初の茶園(鎌倉前期)として知られ、今も高山寺境内に面影を残す。JRバス栂ノ尾一帯。

補足:中央構造線 http://www.cbr.mlit.go.jp/mibuso/siryou_kan/02chuousen.html より

断層の大規模なものを一般的に「構造線」とよびます。中央構造線は、ドイツのE・ナウマンにより命名 された世界第一級の大断層です。中央構造線は九州の八代から、徳島、伊勢をへて諏訪の南を通り、群馬県の下仁田、埼玉県の寄居付近でも確認された、連続し て陸地を1000km以上追跡できる大断層です。

 

静岡とか愛知県、和歌山、奈良、京都の南の方。

どっちかっていうと宇治より南。滋賀県とか奈良県とか、高知、大分、熊本、鹿児島、宮崎。

それが産地ですね、南斜面。

 

どっちかっていうと暖かい、温度が15度以上あって雨が多ければ。

夏に雨が多いっていうのが大事ですね。

夏に雨が少ないと、お茶って生きてかれないんですね。

 

だから古くからそういうところが産地になっている。

愛知県だと、例えば西尾だとか、愛知県の新城、あの辺もいいお茶が採れる産地です。

愛知県は西は抹茶、それから新城は煎茶って言ってますね。

 

抹茶は昔は京都の市場大きくて、そこへ全部販売していた。

新城ってところは、静岡の茶市場って持って来きます。

県を超えて。

例えば、足柄の神奈川県のお茶も静岡に持ってきます。

 

静岡で市場が形成されて、そこへ全部持って来て、静岡に飲まれる煎茶。

清水港から横浜港行ってっていうのが後でちょっと出てきます。

 

南北朝時代の闘茶が熱い!

 

茶歌舞伎があるんだけども、闘茶が上流階級で流行りました。

いろんな産地を飲みましょうということで。

愛知県のお茶西尾だとか、(栂尾)のお茶、川越のお茶、静岡の(清見)のお茶を飲み比べた。

 

何を当てるかっていうと、栂尾のお茶を当てるっていうのが、それが京都至上主義っていうか凄いなと。

自分のところのお茶を当てる。

 

そういう闘茶をやってたんだよね。

いろんなもの土地を掛けたりお金を掛けたり、あまりにもやりすぎて禁止になったという話もある。

※補足:お茶は高貴なものとされているが、意外とゲスいところもある。

 

異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)はお茶の産地を記した本

『異制庭訓往来 いせいていきんおうらい』。(お茶の産地について語っています)。

ほぼ3つしかない『異制庭訓往来』ぐらい。

仁和寺だとか栂尾とか醍醐だとかお茶の産地は伊賀上野だとか全部お茶産地。

 

山を越えて宇治の丘に、入っていったということ。

 

宇治のお茶よりも川の上流は、奈良県の月ヶ瀬とか、滋賀県の朝宮とか名産地なんですね。

 

宇治の平たい所よりも、朝宮の山のお茶の方が(高貴)香りがいいと言われています。

 

だから宇治茶って言うと、宇治で生産されるので、産地は京都、滋賀、奈良、三重県(が多くなる)ということを言っているんですね。

→補足:産地と生産は別

 

何でそんなこと、普通、宇治茶は宇治市のお茶って思うんだけど、あそこら辺りの茶匠はすごいなって思います。

 

権力者なんです。

 

宇治の茶匠っていうのは。宇治茶って頑張ってますね。

宇治の茶匠が仕上げたものっていうプライドがあるんでしょう。

 

静岡人にはとても考えられない。

補足:私も静岡県人だからそのゆるさがわかります。
関西の人はビジネスが上手です。

茶道を導いた3賢人

 

「侘び茶」、村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鴎(たけの じょうおう)、千宗易(せんそうえき(千利休))、この3人がだいたいお茶の茶道っていうのを固めたというか。千家があるということですね。

 

この3人、インストラクターの試験だと出る確率が高いと言われています。

覚えておいてください。

補足:村田珠光さんが出ました。私は間違えました。
茶道の祖は千宗易か? 正解は☓です。これは村田珠光さんです。

 

 

以下先生の実話

私も表千家、しばらく学生の時に京都にいたもんですから、ずっと20年ぐらいやって、表千家の茶道の講習会も行ったことがあって。

その次の年に男手が欲しいとのことで、全国から一週間か10日、若い時は暇人だよね。10日も空けられる。

学生だったか公務員だったか忘れたんですけども、全国から3人が集まって、妙心寺で寝泊まりして、座禅も。

千家に入ると、この器は外へ出せば何百万しますよとかって、えーとかって、知らないうちはよかったんだけど、そういうわけのわからない世界で一週間暮らして。

第二回って言って、襲名披露のときにもう少し人を集めたいとかって、最終的には交通整備やって。並み居るおば様方、先生方、全国から集まりましてね。

その交通整備は男がいないと言うこと聞かないみたいな。

おばさんが多くて。2回目を応募したけど誰も来なかったっていう。

だから全部で30人ぐらいしかいないんでそういう人って。

変わり者っていうか、私も変わり者の一人だと思いますけど。

表千家、裏千家、武者小路千家が茶道っていうので、これがずっと明治の時まで、今もそうなんですけども、お稽古っていうことで伝わっています。

※補足: 茶道文化を学ぶなら京都か関西地区が◎。意外と静岡は文化的な面は弱かったりするそう。(静岡の農家さんと和菓子屋さんの話より)

 

覆い下について

覆い下をなぜするのか?

これは何かって言うと、あんまり日が強すぎるとカテキンが出来すぎちゃう。

 

これを防ぐために、覆いをするとカテキンにならない。

アミノ酸がカテキンに変化しにくいということで、覆い下って一つの技術で、旨味を増やす技術なんです。

 

これが始まったのがこの辺。

 

権力者が出てきて群雄割拠の時代から始まったっていうのがあります。

補足:群雄割拠

多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと。

 

それから碾茶っていうのは、お抹茶を挽く前のものなんだけども、伸びた、平らなペラペラしたもの。

 

雲母みたいな。

 

技術的にすごくそこから進歩しているんですね。

15世紀ぐらいから。平成時代まで行くんだけれども、途中で機械製というのができた。

このへんから機械になって、それまで手で作っていたものがどんどん機械化されていきました。

 

抹茶パウダー問題について

最後平成になってから、ものすごいパウダーとして使えるようになった。

いろんなお菓子に混ぜ込むことができるようになって、パウダーにすると。

この辺からすごい、抹茶・旨茶は多くなってきました。

 

京都のお茶の上の方は、特にハーゲンダッツだとか、いろんなアイスクリームに入れられますよね。

下の方だとそうなんだけども、硬いものの方は。そういった緑が鮮やかな。

お抹茶をどこまでを線引きするかっていうのがすごいもめてます。

 

下の方も、こわい硬い黄色っぽいようなお茶でもお抹茶と言って輸出しているところもあれば、茶道で(お紅茶)ができるぐらいのものでないと、お抹茶って言わないっていう人もいれば。

 

問屋さんの(売り先)によってずいぶん言い方が違っていて。

今、輸出面でどうやって言ったらいいのかなっていうのは結構問題になっています。

中国の抹茶と日本との比較

 

中国とかベトナムで抹茶作ってますので。

覆いをかけたりしてたくさん作ってます。

日本と同じくらい8万トンくらい作ってます。

全部覆いをして。

 

北回帰線の、平地だと暑いもんね。

 

高地だったら余計紫外線全部浴びるから覆いをするのは当たり前なんでね。

 

粉末パウダー作ってます。

日本の3分の1、4分の1できちゃう。

 

抹茶をどうするのかって言うのは、(上で)定義すると、これまた日本だけものになっちゃうか、世界・グローバル産業で作るのか、どうするのか今もめてますね。

それくらい無視できないくらい日本の抹茶の生産量は圧倒的ですよね。

本当に上流階級しか飲めなかったものが、でも一般の方が飲んでいるようなところまで普及していったということです。

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