私の最も尊敬する 茶業史人物である多田元吉さんのお墓に行った時の話です。

また丸子紅茶の村松二六さんにも出会うことができた時の話。

 

多田元吉さんは偉大な茶業人

多田元吉さんは日本人で初めてインドのダージリンとアッサムに行ってアッサム種の苗と揉捻機の設計図を持ち帰った人です。

テキストにはそれくらいしか書いていませんが、私としては100年以上前にインドに行ってきたというだけでこの人は只者ではないと直感できました。

何故ならば私の友人の旅慣れた方々でもインドだけは別格、あの国はヤバイ。と皆口を揃えて言っていたからです。

実際に私がインドに行って多くのトラブルに見舞われて、確かにこれは2度といきたくないなと実際の感想でもあります。

 

旅人の友人へのリスペクトと多田元吉さんへのリスペクトが重なったためこの方に対しての興味関心が上がって言ったのは事実です。

 

多田元吉さんのお墓で村松二六にであう

たまたまお墓に行ったところ、農家のおじさん?らしき人がいました。

ここは元吉さんのお墓ですよね?と伝えたところ、珍しい子だな。ということで、めちゃめちゃ詳しく説明していただきました。

ということで、付いて行ったらこのかたがまさかの。丸子紅茶の村松二六さんでした。

そりゃ詳しいわけだわ。

 

村松二六さんは現代の多田元吉さん

村松さん自身がインドや台湾など海外へ実際に行って学ばれている人です。

それだけでリスペクトですが、村松さん自身が多田元吉さんをリスペクトしているところから話が死ぬほど盛り上がりました。

とりあえず村松さんは只者ではないということ、色々な品種に取り組んでいること。

実際の茶畑を見せていただいたことは本当にすごいと感じました。

 

多田元吉さん鬼凄いのに、軽視されすぎて泣けた

多田元吉さんは何かと軽視されているように感じます。

それは、死ぬ思いをしてインドに行ってきたのにも関わらず、結局国産紅茶の開発は失敗した。

などとテキストに書いてあったりします。

失敗ではありません。

確かにその時はうまくいかなかったんですが、

多田元吉さんが指導した茶業関係者は600人以上。

その中には杉山彦三郎さんや高林謙三さんも含まれています。彦三郎さんがいなかったら品種改良は進まないし、高林さんは機械開発されずに手揉みの重労働がもう少し続いていたかもしれません。

そういう面で茶業界に多大な影響をもたらしたのに

 

多田元吉さんのお墓のすぐ近くに丸子紅茶さんがある

多田元吉さんのお墓から200mくらい先のところに丸子紅茶さんがあります。

こちらでも色々なお茶を飲ませていただきました。

また工場も見学させていただき、偶然が重なったとはいえとても良い経験になりました。

 

丸子紅茶さん、村松二六さんありがとうございます。

いきなりきたのにもかかわらず、快く工場案内や茶畑や紅茶を飲ましていただき大変感謝しております。

丸子紅茶さんの紅茶は全国でもトップクラスだと思います。

これからもたくさんいい紅茶を多くの人に飲んでいただけるようにこのブログを書きました。