日本茶を淹れる際に必要な急須という道具。
今の家には急須もない家も多いということで、茶業界の人の中には嘆いている人もいらっしゃるようです。
日本茶と急須の歴史と急須の今後の展開について考えてみました。
前回までの話はこちらから
日本茶の品種の基礎の話。種苗法、農林認定品種、府県育成種の違い。
日本茶と急須の歴史は意外と短い
急須は日本では昭和40年代くらいから一般家庭に普及してきたとのこと。
長~くあるようで日本では意外と歴史が浅いです。
ちなみに一番始めに日本で使ったのは1756年とのこと。ただしこの時代は茶自体が高級品だったため、
一般家庭で使用されるのはまだまだあとになるのでした。
「急須・急焼」といった横手の湯沸しを、茶を出す道具に転用したのは宝暦6年(1756年)、高芙蓉による。
高芙蓉は江戸時代中期の儒学者、篆刻家、画家である。 日本における印章制度を確立して印聖と讚えられる。
静岡に川根というところがあります。
その昔はですね。川根産は土瓶でお茶を飲んでいたそうです。
他の産地でもやかんでお茶を飲んでいた。
番茶や焼き茶というやかんでいれるタイプのお茶が主流だった。
だから日本人のDNAには番茶やほうじ茶などのやすいお茶が残っているともいえます。
煎茶を飲めるのはごくごく少数のお金持ち。
番茶を飲む人たちは「やかん」に淹れて飲むんでいたということで、煎茶を一般人が飲めるようになってきた。
そこから急須というものが一般人でも使うようになったという経緯になります。
ところが昭和40年代後半~50年代は急須に変わって、現在ではペットボトルに移行することになります。
急須は進化する
このようにですね、日本茶インストラクター 日本茶のおいしい淹れ方、急須で行います。
時代背景を考えながら、これから必ず急須もまた新しいタイプに変わる可能性が大いにあります。
例えばフィルターインボトルみたいに。
それも含めながら、美味しい日本茶、あるいは魅力ある日本茶を考えていく必要があります。
それに茶業界も急須の次に来るものというのは明確にわかっていません。
ペットボトルは究極系なのか?と言われると環境に配慮していませんし、
水を飲める日本において何より液体を運ぶということ自体が輸送代等々含めて無駄になっているともいえます(雇用は生んでいますが)
ちなみに急須が無くなるということはないと考えます。
抹茶も歴史が古いですが、茶道として抹茶茶碗が残っています。
ただしメインが急須でなくなる可能性は大いにある。
いわゆる湯を注いで、抽出していく飲み方をするのが急須での飲み方はだし茶っていう飲み方。
あるいは、先手茶というもので、やかんとか土瓶で飲む「煎じ茶」ですね。
あるいは、ぐつぐつ熱湯で中の水分を全て抽出して飲む飲み方になります。
その煎じ茶がですね、誤って煎茶という言葉に変わってくるだけなんですね。
だから、煎じ茶と煎茶は同じで、全く異なるものです。
そして、また煎じ茶用のお茶がどういうものかというと、煎じ茶といえば、煎じたというとでないの
ですので、逆に言うと、急須で淹れて飲んで何煎でものめる。
中国茶は何煎でも飲むことが可能です。
お茶が煎じ茶と同じ。
ですから、日本茶の場合は番茶のようなお茶。あまり揉んでない。
あるいは、釜炒りのようなお茶がそれに属します。
一方、急須で飲むお茶はですね。
湯を注いだら、すぐに出てくるわけですよ。
っていうことで、普通煎茶があったり深蒸し煎茶があったり。簡単に抽出できるお茶がですね。
煎茶になっていますね。
それは、製法。
飲み方がそのような飲み方。
ですから、その適した製法でお茶を作らなければならない。
お茶を作るところも変えなければ、そういうふうになってくる、いうことで
先程、昭和40年代のねお話でやかんとか土瓶で飲むときのお茶、なんてあんまり揉まないようなお茶。
それが、煎茶が急須で飲むことによって、大型化して、強く揉むようなお茶。
煎茶を作る時代ね。
そのようなことになってきたということになります。
次の話
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