日本に生まれた人は緑茶(日本茶)が当たり前だと思いますが、緑茶いうのは世界的に見たらかなり少数派の飲料になります。

そして、紅茶は世界の7割を占めていますが緑茶よりも歴史は浅いです。

なのになぜ世界に広まっていったのか?

 

前回までの話はこちらから

日本茶の品種の基礎の話。種苗法、農林認定品種、府県育成種の違い。

日本茶の品種を見極めるコツと現代の課題。

日本茶と急須の歴史と今後の進化の話。急須の次に来るのはなにか?

茶品評会と日本茶AWARDの話。なぜ多品種茶が必要なのか。

紅茶と緑茶の歴史

紅茶というのは古くからあると思われますが、実は緑茶ほど歴史がありません。

緑茶は、1,200年くらい前からの文章に残っていて緑茶は作られている。

 

ところが紅茶っていうのは、16世紀くらいの新しく開発されたお茶の種類です。

ですので、その普及のですね。1,500年~1,600年初頭にはじめてヨーロッパにて広がった

 

最初、日本からオランダのハーグという所からですね。

 

お茶が伝わってきて、そのあと、中国からお茶がどっと入ってきた。

 

その時に緑茶が入ってきたんですけども、

緑茶だと、イギリスとかオランダのね、食生活、ヨーロッパの食生活が、合わない問題が発生します

 

ちょっと発酵したお茶に変わってくるんですね。

それが紅茶。

 

そして烏龍茶の発酵を強めてできたのが、紅茶です。

 

とは言いながらですね、その紅茶が今、世界の3/4を占めます。

っていうふうに言ったら、ブラックティー、紅茶になってくる。そのくらい飲む。

 

日本はいつからというと、永谷宗円が、煎茶を作ったんですけど。

その後ですから、1800年ぐらいからです。

日本茶が輸出されるようになります。

 

江戸時代から明治にかけて、日本茶が世界に向けて輸出される。

その時にですね。世界の状況がもうすでに緑茶から紅茶に変わっていたんです。

 

昔は緑茶でよかったんですけど、世界がね、緑茶よりも食生活には紅茶の方が合うということで。

紅茶の方がどんどん広がっていきます。

 

ですので、緑茶を輸出しようとしても緑茶じゃなかなか儲からない。

世界はもう紅茶の世界だということに変わり始めていたゆえにです。

 

日本でも輸出するためには紅茶を作らないといけないということでですね。

ここで初めて、紅茶ができるわけです。

ですから、日本で初めて紅茶が出てくるのは明治くらい。

世界でもそんな具合感じです。

 

日本では今から150年くらい前、160年からしか紅茶を作ってない。

そこで、紅茶を作るために、最初はこういうふうに緑茶しか輸出されていなかった。

 

だけど、世界は紅茶だった。

いうことで、紅茶が作られた団茶。固めたお茶。

世界の標準を満たすお茶というものが作られたんですね。

 

ちなみに、日本のお茶が産業化されたっていうのはですね。

このようにですね、輸出によって日本のお茶が産業化されている。

日本のお茶の歴史って古いんです。

奈良時代からお茶を飲み始めているんです。

 

それは庶民が飲んでいるわけではないんですね。

お坊さんとかですね、あるいは貴族とか、あるいはその頃の大名が飲むのがお茶なんですね。

 

庶民が飲み始めたのは、紅茶というのも同じように、明治からですね。

 

様々なお茶が作られ、そして、大量に作って、大量にお金儲けしようと富国強兵策だったので、お茶屋が産業化されるわけですね。

そして、産業化の中で大量に作られたお茶が初めて庶民のところで安く手に入るようになったというような経過であります。

 

静岡県が多いと思いますね。

だから、大量に作るために、浜松ね。

浜松っていったら、あまりお茶の産地として他県の方に有名ではない三方原です。

徳川家康の昔豊橋からうつったところです。 

明治のときに大量政策で百里園みたいな名前が作っていますね。

 

輸出用のお茶を大量に作るっていうことをやってるんですね。

百里園、百里ですからだいたい400㎞、1里が約4㎞ですから、400㎞くらいの茶園を作るために、開拓をし始めるのです。

その中身を見るとですね。

固めたお茶(固茶)を作る工場があったり紅茶を作る工場があったり緑茶を作る工場があったりする。

いうふうなことで、明治の時代にはですね、もういまでは信じられないような様々なお茶がですね、作られていたいうふうなことにあるわけです。